死別専門カウンセラーの日高りえです。
死別というか孤独について考えてみました。
愛する人や大切な存在を失ったとき、壮絶な喪失感に陥ります。
喪失感って、漠然としているので、辞書で引いてみました。
喪失感とは、
自己の価値観における大切な人や物、大事にしてきたものごとが失われてしまったという、悲痛な感覚や心境。寂寥感。「まるで心に穴が開いたようだ」などのように形容されることも多い。(実用日本語表現辞典より)
寂寥感(せきりょうかん)という使い慣れない言葉が出てきたので、新たに辞書で引いてみます。
寂寥感とは、
さびしく、わびしい様子。(実用日本語表現辞典より)
喪失感まとめると、悲痛な感覚や心境、寂しく、わびしく、まるで心に穴が開いた状態
そうそう、これが大切な人を失ったときの状態です。
この心に空いてしまった、ん?開いた?、辞書は開いたになっているが…
まあそれは置いておいて、心に穴が空いてしまった状態というのは、その穴はどうしても埋まらなく、無理して埋めようとしたり、穴自体を見ないようしたりしても、結局はその穴から逃れられなくなってしまう。。
心に穴という表現を、自分の身体の一部を失ったことに置き換えるとわかりやすいです。
例えば利き腕を事故で失ったとしたら…。
亡くなった人と同じで、腕を失ってしまうと、その腕はもう二度と返ってこない。そして、日常生活でも、外出しても、何をしていても腕を失ったことを思い知らされる。。
いくら周りの人が励ましても、その壮絶な失った悲しみや複雑な感情は誰にもわかりっこない。
最近は東京オリンピック・パラリンピックの影響を受け、パラリンピックの競技選手をテレビで見ることが増えたように思います。
私たちは、彼ら競技選手のようになれるのか。
腕を失くした生活に慣れるのは、そう簡単なことではないということが想像つくと思います。
それと同じで、愛する人を亡くした生活は、そう簡単なことではないです。
そしてそれは、一人ひとりによってかかる時間も様々です。
ときには怒りが噴出し、ときには泣き崩れ、もうどうなったっていいと自暴自棄になったり、諦めの境地にいったり、嘆いたり。
時間はかかりますが、競技選手のようにそれ以上の補う力を私たちには持っています。
人からの助けが必要なときもありますが、それでも私たちの生命力は思った以上の力を持っています。
腕がなくても、愛する人を失っていても、あなたは大切な存在です。
どうか自分の人生をあきらめないでいてください。
孤独について書くつもりでしたが、脱線してしまいました。
こちらはまた次回に…。
日高りえ
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