死別専門カウンセラーの日高りえです。
「亡き妻へのレクイエム」を執筆されたAkiraさんが、新たな本を出版されました。
「逝き去りし人々への愛と惜別の歌」安茂興人(作家名)
弟、友人、妻、父、母、義母、義父のそれぞれの死のエピソードと想いでを綴っておられます。
去りゆく人の思い、残された人の思いをもって、自分が遭遇した多くの死から私自身が何を学んだのか、何をこれからも生き続ける人に対して彼らに代わってのこしていったらよいかについて書かれています。
Akiraさんからご承諾をいただき、本中から弟さんの自死についての部分をご紹介します。
エールフォワードとして受け渡していきたいと思います。
エールフォワードとは、
喪失体験のある方が少し過去を振り返り、愛する方を亡くした時、助けになったこと・励みになったこと・心の支えになった体験を、エールを込めて受け渡していくという意味で名付けています。
30年以上前…
あの時の衝撃を忘れることはありません。両親からの突然の電話「息子が死んだ。来てほしい」。自殺したことは前夜の彼の不可思議な態度からもしやと心配していたのですぐ悟りました。
亡くなった彼(弟)は性格の穏やかな生き物のとても好きな人。むしろ性格があまりに良すぎて世の中の荒波に耐えられなかった。だからこの世に生き続けることを神様が憐れんでこの若さで天に召された。今ではそう思うことにしています。
その彼の愛読書として彼の死後自室に形見として多くのボクシングマガジンが残されていました。私は彼にそういう趣味があったことを全く知らず、それを見て私の涙は止まることはありませんでした。
彼は己の肉体的、精神的弱さを認めてそのどうにもならないわが身を悲しみ、たくましく躍動するボクシング選手の強さに自分にないものを見出し、自分がそういう肉体を獲得しリングに立つことをあこがれたのだと思います。
亡くなる前日彼が私の家にきて遊んでいきました。好きだったバドミントンをやりました。私はまさかその夜彼が逝くとは思いませんでしたので本気で試合をして負かしてしまいました。「僕は何をやっても駄目だなあ」それが私に対する最後の言葉でした。
家を辞するとき妻に「さよなら、さよなら」と二言言いました。いつもはそんなこと言わないのにと妻は彼が帰ってから不安に思って私に言いました。「泊めてやればよかったな」と思ったのが胸騒ぎというものであったのでしょうか。その夜彼は命を絶ってしまいました。
私たち夫婦が自殺のサインを検知というか予知出来たのに、それを現実の警告と認めず自殺を食い止められなかったことで、亡くなった妻もそのことをいつまでもいつもまでも悔やんできました。
Akiraさんはご自身体験から、自死についてこのように綴っています。
自殺は周りがそのサインを受け止め、本人の行動を注意して聞いていれば助けられるのです。死にたくないという気持ちがどこかにあるからです。死に至る病気にり患したときだって、そういう病気にいつまでも苦しまずに早く死にたいという気持ちと、苦しくても治るものなら出来ることなら助かりたいという気持ちがあります。交差する気持ちに苦しむのは自殺と死病は似ている。私はそう思います。
なぜ助けられなかったのか。多くの、身内を自殺で失った人たちがこぞって述べる言葉です。実はその前に長い前準備プロセスがあり、もはや自分では回復できない道を歩き始めている兆候を見つけることこそ、唯一と言っていい自殺志願者救済の道なのです。
これは、自死遺族としての、AKIRAさんの思いです。
そして私は、次の文章が頭から離れません。
むしろ性格があまりに良すぎて世の中の荒波に耐えられなかった。だからこの世に生き続けることを神様が憐れんでこの若さで天に召された。今ではそう思うことにしています。
Akiraさん、本の内容を紹介させていただきましてありがとうございました。
Akiraさんもおっしゃっていましたが、死で綴る本は、この世にほとんどありません。だれもが避けたい「死」だからこそ、正面から死を見つめることが大切なことなのかもしれません。
多くの方にAkiraさんの思いが届きますように。
日高りえ
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家族を失ってどうしていいかわからない…
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