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天国の母へ「91歳まで長生きしてくれた母には感謝の思いでいっぱいです。」

C.Tさんから届きました、お母さんへのお手紙をご紹介します。

C.Tさんからお母さんへ「天国への手紙」

お母さん

良く笑いよく怒り感情の起伏が激しかった。
お嬢様育ちで甘えたで怒りっぽくて寂しがりで冗談好きのそんな母でいつも何をするのも私と一緒だった。

若い頃はそんな母が疎ましく恨んでいた時期が少なくなかった。
達と遊びにも数えるほどしか行けなかった。
いつも監視されてるようで嫌だった。

その内、仕事だと言って遊びに行くようにしたがやっぱり本当のことを言うとウソをついて行くのがイヤだった。
でも母の性格上、仕方なかった。

頭の回転が速い人で話しも上手くて…私は結局は母のことが最後は嫌いになれなかったし、私だけに愛情をかけてくれたんだと思う。
亡くなったとき、これは母からの卒業なのかなと。いつも母に引っ張り回されたけど母がいたから生きて来れたのかな…とも思う。

昨年末からだんだん水分が取れなくなって薬も飲めない、食事も取れにくくなってフルーツを少しずつしかたべれなくなった。
本当に心配で心配でどうしていいのか判断が自分ではつかなかった

そして年明けにかかりつけの医師に連絡して手配していただき救急搬送で某病院に入院することになった。

1月中はほとんど毎日見舞った。
2月に入っても鼻チューブだったので可哀想だったが飲み込む機能が弱ってきてるみたいでリハビリをしているが鼻チューブは取れなかった。

飲み込みが出来るようになれば食べれるようになると思ってただけに、このままずっと鼻チューブで栄養を摂取しないといけないのは延命に当たると分かり、複雑な思いで、この先を考えてどうしたら良いのかと、ネットの情報を見ながら考えていた。

何年も鼻チューブで生きた人の話しや胃ろうの話しを聞くと、そこまでして延命して母は幸せなのかと考えるとこれは違うんじゃないか…かと言って、鼻チューブを取って下さいとも言えず相当悩んだ。

でもそんな日々があって考えも落ち着いてきた。約3カ月入院してるあいだ母を後悔なく見舞えたし今はこれで楽になれたんだと思う

よく頑張ったなと言ってあげたい。病院嫌いで怖がりの母がよく耐えたと思う。

特に可哀想だったのは痰の吸引だ
鼻から管を通して痰を吸引するのは見ているのも辛い。母も怖がっていたし苦しそうだった。

あの作業から解放されて良かったと思う。色々あったけど91歳までよく頑張って生きてくれた。
考えたらそんなに丈夫なほうではなかった。
病院嫌いで自ら行かない人だったけどその分いつも腹八分で暴飲暴食や無理をせずこれまで来たので長生きできたのだと思う。

12年間の介護生活。まず足が弱って歩けなくなり7年間は私が一人で世話をして4年前から要介護の認定をとりヘルパーさんに来てもらった。
12年間色々あった…私も精神を患って心療内科に通ったり肩を痛めて整形外科や整骨院に通ったりした。
母の12年間とも言えるし、私の12年間とも言える。

私も仕事と介護の両立は厳しく母にはウソをついて気分転換のため週一ぐらいで外泊することもあった。
母と戦った日々が終わった。

これからは母のいない人生。まだ考えられないけどこれからの人生をどのようにして生きていくのか。いや生きていけるのか、まだ自信がない。
今まで母がいたから生きてこれたが、これから一人で何でもして行かなくてはいけない。

お母さんどうか天国で見守っていて下さい。

そして91歳まで長生きしてくれた母には感謝の思いでいっぱいです。

本当にありがとう。

C.T

C.Tさん、お手紙ありがとうございました。

C.Tさんの思いが、お母さんへ届きますように。

グリーフケア専門カウンセラー 日高りえ

 

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