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天国の親父へ「俺の父親で居てくれてありがとう」

つばささんから届きました、父親へのお手紙をご紹介します。

つばささんから親父へ「天国への手紙」

親父へ

こうやって手紙書いた事なんて一度もなかった。伝えれなかった事をかくよ。親父とはロクな思い出がない
思い出すのは怒られた事ばかり
一緒に住んでる時は決して仲が良いとは言えなかった 周りからみてもそうだと思う
母親が亡くなってからも 仲良くなんてできなかった。

きっかけは4年前 彼女が出来て 突然俺が家を出ると話した。俺は家を出て彼女と暮らす様になった。その二年後に 親父から末期ガンになったと連絡があって俺は久しぶりに帰ってきた。小さい頃しってる親父はそこにはいなくまるで憑き物が取れたかの様に優しい父親がいた。元気だったか そう言った親父の顔が忘れられない。一緒に病院へ向かい大腸ガンステージ4と宣告され 俺は頑張ろなんて無責任な事しか言えなかった事今でも後悔してる。親父も、頑張ると投薬治療を決めた。

それから俺は病気の父親を残し帰った
それから 父親の投薬が始まり 苦しい毎日が始まった。
俺に金がなく一緒に住んでやる事もできず
できる事は毎日携帯にメールをする事だけ。

朝決まって 大丈夫か?しんどくないか?とメールをすると 大丈夫だよ! と帰ってくる。
本格に辛くなりだした頃 ヘルパーさんを頼むようになったね。 他人を家にいれる事が嫌な人がヘルパーさんを頼むぐらいだから、しんどかったんだよな。
それでも 返信されるメールは決まって 大丈夫だよ!と

それから約2年間 投薬を続けたけど
医者から電話があったのがここ一カ月前、、
もはや手の施しがなく 一度息子さんに病状を説明したい。

俺が帰ってきた時には
残り 一カ月も持つかどうか
今更知らなかったなんて言わない
恨まれても仕方ない
やせ細った父親から出た言葉は
お金は大丈夫か? 久しぶりやな

最後の一週間 会えたのは三回
コロナのせいで面会ができず
父親は自分がどれくらい生きるか聞かなかった。

話せる内にと 看護師さんに言われた
何を話せばいいか わからない
出てくる言葉は 他愛のない会話だ
メールができなくなった ごめんな
親父が そう言った
俺は元気になればまた出来るよ。

病院から連絡があり 父親がカルピスが飲みたいと
俺は大量にカルピスを買い父親に渡した。
その2日後 旅立った
自分に何が出来たのか
どんな気持ちだったのか
話せる時に聞いた 寂しかったか?って
バカな質問よな 寂しいに決まってる
一人で闘って 弱音なんて吐かずに

俺は何が出来たかな 何も出来なかった
俺 全然尊敬してなかった親父の事
ダメな父親やと思ってた。
でも、実際は違ったんよなぁ
俺知ってる 四年前 団地の上から俺見送る時 泣いてたことも
まだ生きたいって言ってたことも

ゆっくり休んでください
俺の父親で居てくれてありがとう
さようなら

つばさ

お手紙ありがとうございました。

つばささんの思いが、お父さんに届きますように。

日高りえ

 

天国へのお手紙をお送りください。
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