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天国のおじいちゃんへ「大好きです。ずっと、私の自慢のおじいちゃん」

つさんから届きました、祖父へのお手紙をご紹介します。

つさんから祖父へ「天国への手紙」

もっと一緒にいたかったんだよ。あと1ヶ月ってお母さんたちから聞いた時、自分に何が出来るんだろうってたくさん考えて、たくさん泣いてた。中3の私が出来ることは、じいちゃんに会いに行くことだけだった。ちょうど冬休みに入った時だったから、毎日会いに行った。いろんなもの買って行ったり作っていったり。正直辛かった
の。日に日に出来ないことが増えていって、ご飯を食べれなくなって。病室抜け出して1人で泣いた時もあった。

年末に1回家に帰ってきたけど、結局夜中に病院に戻っちゃったよね。私が「家に帰って来れて嬉しい?」って聞いたら「皆に迷惑をかけて申し訳ない」って言ったの覚えてる?あの時ね、凄い泣きそうだったの。私はそんなこと言って欲しかったわけじゃないのに。迷惑だなんて思ったことないし、そんなこと言わないで欲しかった。

それからしばらくは、お昼前に病院に行って皆でご飯食べて、私は夜の7時くらいまで病室に残って話したりしてたんだけど、いつからだったかな?ちょっとずつご飯が食べれなくなって、ずっと寝たきりになってきて。呼んでも反応してくれなくなって、話すことも出来なくなった。いつ死んじゃってもおかしくない状況で、家族みんながおかしかったと思う。

私が昼休みに友達と話してた時だった。先生に帰れって言われた。もう全部を悟った。病院に行ったら、もう呼吸が止まってた。手がだんだん冷たくなっていくのが分かった。あの時の私の声は聞こえてたかな?私だけじゃないよ。皆が呼んでたよ。その前の日に、明日は私の部活の事を話そうって決めてたの。「また明日来るね」って言って帰った。それが最期になるなんて思ってなかった。なんで私はあの日帰ったんだろうね。特別病棟だから24時間一緒にいられるのに。あの時帰らずに一緒にいたら、少しは変わってたのかな?

じいちゃんは3人兄弟の真ん中。私も3人姉妹の真ん中。いろいろと面倒くさいことがあって、唯一その大変さを分かってくれた。そして1番私のことを大切にしてくれてたと思う。私が部活の大会の賞状を持っていったら、褒めてお小遣いくれたこともあったし、会いに行ったら必ずなんか買ってくれた。じいちゃんが亡くなる2ヶ月半前の11月。部活で都大会に出場。憧れだった舞台。でも、見に来れなかった。だから、引退試合では必ず都大会に進み、見に来てもらおうって考えてたんだよ。部活も勉強も誰よりも応援してけれた。「よく頑張ったね」っていつも褒めてくれた。

私が嫌なこととかあって泣いてたら、「どうしたの?」って言っていつも来てくれた。今ね私泣いてるんだよ。なんで「どうしたの?」って言って近くにいてくれないの?どこ行っちゃったの?戻ってきてよ。
今ね、大変な状況だけど私頑張ってるよ。勉強も家の手伝いもちゃんとやってるよ。私はあなたの自慢の孫になれてるかな?

もう3ヶ月近く経つのに、未だに立ち直れてないんだ。ふと泣きたくなっちゃう。もっと一緒にいたかったけど、もう楽になれたんだよね。もう点滴に繋がれっぱなしじゃないし、大好きなお酒も飲めて、甘いものも食べれるんだよね。辛い中、きっちり1ヶ月頑張ってくれたんだもんね。

言葉に出して言うほどの勇気は無いので、ここで言わせてもらうね。大好きです。ずっと、私の自慢のおじいちゃんです。ちゃんと空から私たちの成長見ててね?

つさん、お手紙ありがとうございました。

つさんの思いが、祖父へ届きますように。

日高りえ

 

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